プロフィール(世話人)

「ネーム」:りらっくす   「性別」:男性   「年齢」:団塊の世代

「住まい」:広島県     「趣味」:リラックス法

 

「尊敬する人」:澤木興道老師(禅僧)  坂村真民さん(詩人)

「好きな言葉」:二度とない人生だから(坂村真民さん詩集)

        一期一会。  草莽崛起。  知行合一

  「グループ・団体所属経歴」

「KHJ全国ひきこもり家族会連合会・広島」(約10年)

「ひきこもり相談会・太光寺」(約2年)

「広島自閉症協会(成人期問題の部)」(約2年)

 

「成人期発達障害家族会」(約2年)

「精神保健福祉家族会」(約3年~)

「土曜会(精神福祉家族会)」(約1年)

 

「ひきこもり相談 茶話会・一期一会(世話人)」(約1年)

「社会福祉協議会・ソーシャルクラブ」(ボランティア約1年)

「KHJ・WAM事業(若者の居場所事業・期間半年)」(ボランティア)

 

 

 

   「学習」

「(社団法人)ひきこもり支援相談士認定協議会・ひきこもり支援相談士」(平成23年度認定)

「広島県ユースアドバイザー養成講習会」(平成25年・26年・27年度 修了)

「私自身、集団生活になじめず、高校1年1学期終了で自主退学。

17歳の頃より人との接触をしなくてよい早朝の新聞配達・牛乳配達などで一人暮らし。

中退時頃から「空手」の教本片手に自主トレーニングを始めました。

 

17歳頃「座禅」に出会い、これまで続いてきました。

その後、趣味の「リラックス法」の研究に繋がっていきます。

 

これらはすべて自分自身の生きづらさを克服したいという思いの欲求からだと感じています。
20歳頃、勉強がしたいという気持ちが高まり、通信制高校(1年間)、のち定時制高校(夜学)2年に編入。

そののち短期大学部(夜学)に3年間(1年留年)。

昼はフリーターでバイトをし、夜学生活6年間自活。」

   ”マインドフルネス瞑想と禅”

 

 以前、テレビでストレス対処法の番組での、
「マインドフルネス」を興味深く見ました。

私が「マインドフルネス」を知ったのはまだこの最近でした。
ブログを書き始めて、いろいろリラックス法などをネット検索しているときに見ました。

なにか、長い間やってきた座禅に似ているなーという印象でした。

 

 その後、ユーチューブでの内容を記事に書きながら、だんだん興味がわいてきました。

マインドフルネスの源流は、瞑想で悟りを開いたお釈迦さま。
それが、中国から日本に「禅」として入ってきました。
仏教の止観の瞑想法、「禅」や「~道」と同じ東洋思想がベース。
欧米にも伝わり、「マインドフルネス」という名前で日本に逆輸入してきました。

    
  

どうりで似ているはずです。
違う点は、宗教色を除き、心理療法に特化したということのようです。
内容、スタイルが、シンプルでコンパクトという印象で、
とても親しみやすい感じがしました。

さすが欧米の方は、発想がすごい。
合理的で、シンプル、そして何より、
実際的な効果(効用・利益)の科学的実証による証明。
たしかに効果がなければ広まらないでしょう。

テレビでは、ストレスによる心身や脳の破壊の、科学的な説明をしていました。
その破壊を止める技術が、ずいぶん昔からの「瞑想」というものであったと
、最新科学がやっと追いついてきたということのようです。

 

 

         「マインドフルネス瞑想入門」(吉田昌生著より)

「マインドフルネス」とは?・・・・2500年前ブッダが教えた
                 「人生の苦悩から解放されるための心のトレーニング法」を、
                  そのエッセンスの部分を抽出して、現代人のために、宗教色を無くし、
                  誰でもできるようにデザインされたもの。

 ・サティ、念、気づき  
 ・評価や判断をせず、今という瞬間に100%意識を向けた状態 
 ・気づく力を高めることができる

 

 

  「8週間の瞑想を実践することで脳の構造が変わる?」   


 EQ(こころの知能指数)が高まる。・・・・「島」や「前頭前野」の厚みも増し、血流がよくなって
                      「自分や他人の思考や感情の動きを対象化して理解する力」が高まる。

 ”不安や恐怖などに関連する「偏桃体」は縮小して”、
「イライラや不安が抑えられる」=自制心、自己コントロール力、共感力UP。

「マインドフルネス瞑想の効果」・・・・ストレスからの解放  ・明晰な思考  
                     ・集中力  ・創造的思考  ・思いやり


  「マインドフルネス実践のポイント」

 ① 今、ここ・・・マインドフルネスでは、「今、ここ」に在ることの実践。
          瞬間瞬間、刹那

 ② 何もしない・・・唯一することは「何もしないこと」

 ③ ジャッジしない・・・マインドフルネスでは一切の評価や判断をしない
           ・快、不快と分けない
           ・考える(理性・知性)→感じる(感性)

 ④ 受け容れる・・・マインドフルネスでは否定も肯定もせず受容する 
            ・不快な感覚や感情、思考も客観的に観察し続ける

 ⑤ 毎日意識する・・・実践することで、マインドフルネスの筋肉が鍛えられる。

  実践には2種類あります。
   ・正式な練習=瞑想やヨガ 
   ・日常生活の練習=傾聴、食べる瞑想、歩く瞑想

   "坐り方の例”
   ・あぐら  ・半蓮華座  ・蓮香華座  ・正座  ・椅子座  ・仰向け
  ”姿勢・呼吸”
   ・背筋を伸ばし、全身の力を抜いて、ゆっくりと呼吸。

 

 ~座禅体験入門~  「17歳 初心者仏通寺編」

 

 その頃、私は高1の夏休み明け二学期初日に、

自分で書いた退学届けを提出し、自主退学し毎日ブラブラと過ごしていました。

人との関わりに苦痛を感じ、人との接触を避けて毎日自転車で出かけ、

山の中や、河原の林の中などで、「空手」の教本を片手に練習などをして過ごしていました。


 1年ほど過ぎたある朝、座禅を教えてもらおうと、

自転車に乗り三原市の奥にある仏通寺というお寺へ向かいました。

途中は、八本松町、西条町という山の中の急な坂道を、自転車を押しつつ進んでいきました。

 

 仏通寺の山門に辿り着いたのは、すでに夕方近くなっていました。

門前から声をかけるのは大変勇気がいるものです。

なんとか、か細い声で「すいませんが座禅をさせてもらえませんでしょうか?」と、

見かけたお坊さんに問いました。

「残念だけど今日はもう夕方だし、急には無理なので、今年の年末年始3日間くらい泊まり込みの修業があり、

一般の人も参加できるので、その時おいでください。」とのことでした。

なぜか少し、気持ちがホットしました。


 その日は、ふもとの町本郷の風呂屋さんの2階が宿泊所になっていたので、そこに泊まり、翌日家に帰りました。


 そして、年末、いよいよ初めての座禅体験。

  ゾクゾクと大衆が参集

  その数30名前後

  皆さんご年配方が多く、若年者は私と中学生の男子。
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 行事が終了して、宿泊場所に戻ってくつろいで雑談
 しばらくして、直日さん(禅堂の指導僧)が、なにやら本を持って来られました。

 そして、紹介していただいたのが、仏教詩人の阪村真民さんの
 詩集「二度とない人生だから」でした。 

 

 その詩集には衝撃を受け、その後、真民さんの詩集を集め、
 その後の人生の指針の一つになりました。
 「念ずれば花ひらく」「生きる力がなくなる時」「宇宙のまなざし」などがあります。

 それから、風呂などに入る人は入り、部屋の中で長い時間、皆でくつろいでいました
 
 が、直日さんがやって来られて、今度は大声で、

「こらー、いつまでぐずぐずしているのかー早く夜座へ出ていきなさいー」

 と喝を入れられ皆、縮みあがりました

  夜座とは、座布団二枚を持って外へ出て、外の階段や、縁側、橋の上、
 木の下とかで座禅をすることとの説明でした。

 

 私も、仕方なく縁側や川の傍の木の下や、石段などの場所を探し座りました。

 夜座から何時に部屋に戻るかが問題です。
 夜中の1時か2時か、何時ごろ戻ればいいのだろう?
 せっかくだから、少しでも長くやってみよう。
 小雪がちらつき、肩にうっすら下りてきたのを覚えています。

 

 強烈な体験ほど、その記憶は生涯残るようです。
 この数日の体験が、その後の人生を決めています。

 仏通寺から家に帰ってきて、何か自信が少しついたような感じでした。
 見える世界が少し違っていました。
 
 そして、苦しい時、つらい時、なにかにつけて
 あの夜座の体験の記憶がよみがえり、人生なんとか
 なるさと思えるようになり、少しだけ強くなっていったようでした。

 その後、家で過ごすときは、毎日1~2時間の座禅、寝る前に座禅。

 

 食事の時や、テレビを見て過ごすときは、背筋をまっすぐ伸ばし、足を組んですごす。

 食事の前後は合掌で感謝の念を向け、トイレに入る時も合掌

 人に対しても心の中で合掌。
 そして、いつか、全てのことに対して感謝できる
 人間になれるのだろうか?

 

 そんな生活が始まりました。
 なんの目標もなくブラブラ過ごしていた自分の心の中に
 「禅の修行」という名目を手に入れ、一つの目標が生まれました。

 そして、それがいつしか生きていく上での心のバックボーンとなり
 心の拠りどころとなり
 少しだけ、心が安定していくのが感じられ
 生きていくのが少し、楽になっていきました。